組手(くみて)=二人組の体操 が上手になれば、しあわせな人生が送れる
- 2015/10/04
- 08:00
「ブリージング入門半年目の会員です。
基本のストレッチは一通り覚えたので、次は何を目指せばいいか迷っています。
というのは、上達の基準=何をもって体操が上手になったと判断するか?がハッキリ分からないからです。
その基準を教えてください。
ブリージングにも昇級制度や昇段制度があると、自分の上達具合が明確になり、励みにもなるのではないでしょうか?
ブリージングストレッチ無段」
「確かに、『体操の上達判定基準とは?』って改めて聞かれると、ハタと考え込んじゃうよね」
「古久澤先生は、
『組手(くみて)=二人組の体操 が上手に出来るかどうか=相手の身体を氣持ちよくほぐし、整えられるか?』
が判定基準だとおっしゃっている」
「そうか~。体操と組手は裏表だもんね。
だから全てのブリージングストレッチは、二人組で行えるように設計されているよね」
「古久澤先生は、武道を長年修行されたので、ブリージングストレッチも武道の考え方に強い影響を受けている。
相談者さんは、『基本のストレッチは一通り覚えた』と言っているが、武道に置き換えれば、基本の突き蹴りの形や、基本型の順番を覚えたというレベル。
白帯=一番下の帯 としては、何とか格好がついてきたという所」
「でも、武道の技は使うことが目的だから、組手=実際の相手との攻防 で、突き蹴りで相手を倒せないと意味がないよね。
白帯レベルじゃ、まだ全然無理だよ」
「そのとおり。整体やセラピーの例で考えても、憶えたばかりの技で、いきなりお客さんの身体を整えられる訳がない。
現実に『使う・使える』という根本目的を忘れると、新しい技を次々に求めて歩く、マニア・ジプシーになってしまう」
「武道も整体も、『使えない技のデパート』みたいな人になっても仕方ないもんね。
どんな仕事や専門分野にも、共通することだよ。
まあ、その人がコレクターとして楽しんでいるなら、いいけどさ」
「武道の世界には『型名人』という言葉がある。
一人で型を演じていると、まさしく名人芸で拍手したくなるほど格好いい。
しかし、実際の組手になると、素人のケンカのようなメチャクチャになってしまう。
これが型名人。つまり格好だけで全然使えない。
心身統一合氣道創始者の、藤平光一先生は、型名人をつくらないためにも、二人組の稽古をとても重視していた。
『出来ているつもりが一番怖い』とも弟子に教えていた」
「整体でも、フォームは大先生よりキレイなのに、全然治せない人が居るみたいだしね。
体操に置き換えると、見た目の形が柔らかくて、よく伸びていても、全然体質が改善されないタイプってこと?」
「ダンサーに多い。
関節の可動域が大きいから、苦も無く理想的な形が取れる。
しかし、<意識>が伴っていないから、刺激が身体に入らない。
だから体操しても、なかなか身体が変わらない」
「意味なく形が取れてしまう ってことか」
「古久澤先生の著書、『しあわせを引き寄せるカラダ』には、『他人は自分の鏡』と書かれている(114P~115P)。
これは単なる人生論・道徳論ではなく、組手の実践に通じる教え。
人間関係が上手く行かないのを、相手の問題だと考えている間は何も解決しない」
「組手で自分がヘタクソなのを棚にあげて、相手のせいにしていたら、絶対に上手になれないのと同じことだよね。
相手の身体を氣持ちよくほぐせないのは、自分の技が間違っているのかも知れない。
相手との距離が近すぎたり、遠すぎたり、間合い=距離感が拙いのかも知れない。
相手の身体に対する角度=ポジショニングに問題があるかも?
相手の呼吸を無視していないか?
検討すべき点はいっぱいあるよね」
「以上は、人間関係や仕事に置き換えても、そのまま通用する原理。
だから組手が上手になれば、誰とでも仲良くなれ、どこへ行ってもしあわせに生きて行ける人間になれる。
目の前の相手の身体のコリをほぐし、歪みを正せるということは、人間関係や仕事上の問題のこう着や歪みを解決できるというのと同じことだからである。
組手で男性に多いのが、力任せに、強引にやってしまうケース。
恥ずかしながら、チンパンも結構その傾向がある(笑)」
「やっぱり一般的に男性は乱暴だもんね。
女性より筋力があって、育ち方も違うから、無理もない面があるんだけどさ。
言葉や態度が優しそうでも、組手になると、ガシッ!って感じで思い切りつかむ人が多いよね」
「実はそっちが本性。
手にはその人の無意識の人格、心理学的に言うと『シャドウ』が出る」
「シャドウは車の運転にも出やすいよね。
普段穏やかでも、追い抜かれようものなら、血相を変えてカーチェイスを始める人が居るし。
あと、お酒。
アルコールが人を変えるんじゃなくて、緩んだことで隠されている本来の性格が出てくるってことだよね」
「酒は超陰性で、全てを緩め、溶かすからね。
落語家の立川談志も、
『酒が人間をダメにするのではない。人間は元々ダメなものだということを、酒が教えてくれるのだ』
と言う秀逸なアフォリズムを遺している(笑)。
特に男性の場合は、組手を通して、他者のボディへのソフトな触れ方を学ぶことは、人生の大きな財産になると言っていい」
「学校教育でも、社会に出てからも、そんなことを学習する機会は、普通無いもんね。
自分の手のコントロールを通して、シャドウを制御できるようになれば、『ついカッとなって思わず手が出た』なんて事態も減るかも。
DV男撲滅のためにも、男性はすべからく組手を学んでほしいよ。
他人の身体への触れ方が乱暴な人は、仕事や人間関係のアプローチだって乱暴で自分本位だろうし」
「組手で相手の身体に乱暴に触れる人は、体操の時に自分の身体にも同じことをやっている。
組手でいきなりガシッ!と押さえつけられたり、ドスン!と踏みつけられたりすると、受け手の筋肉が緊張する。
だから施術側がいくら頑張っても、刺激が表面で弾かれて、深部に届かない」
「体操も力んで行うと、刺激が表面でブロックされちゃって、効果が出にくいってことだよね。
まさしく他人は自分の鏡。組手で柔らかく出来るようになれば、体操も自然に上手になっちゃう」
「古久澤先生の師・伊藤昇先生も、二人組の体操をすごく重視されていたとのこと。
まだ動きが未熟な会員でも、二人組のセンスがいい場合は、ドンドン上級者のクラスに参加させていたと言う。
古久澤先生も、
『他人の身体を組手で上手にほぐせるようになったら、ブリージングストレッチの一級~二級くらいだと思っていい』
とおっしゃったことがある」
「・・・・・って言うことは、実はブリージングストレッチにも、段級があるってこと?」
「もちろん。口に出して言わないだけで、生徒全部に段や級をつけているとのお話。
しかし、それを明確にランクづけすると、傲慢になったり、会員間で露骨な上下関係などが出てくるリスクもあるので言わないとのこと。
先生ひとりが分かっていればOK。
実際に武道の道場でも、帯の色が変わったり、段もちになったりすると、お鼻が高くなっちゃう人が時々居る」
「一般社会=会社とかでも、役付きになった途端に威張りだす人がいるのと同じことか」
「確かに人間はプライドを持たなきゃいけない。しかしプライドにも陰陽がある。
表面上の肩書に捉われると、安っぽいプライドだけが高い人になりかねない」
「その専門分野を学ぶことで、自分を高め、社会に益するのが本道の筈なのに、威張ることが目的にすり替わったら、そんな修行はしない方がマシかもね。
誰でもそうなるリスクはあるし」
「ブリージングのいいところは、十年以上続けているベテラン会員も、入会したての会員も、同じ生徒扱いで変な上下関係が無い点」
「生徒同士はほとんどタメ口で、友達会話だもんね。
チンパン君も十年以上やっているけど、全然後輩たちに敬われてないし(笑)」
「そのとおり(笑)。敬って欲しいとも思わないけど。
もちろん武道の道場とかだったら、先輩後輩のケジメは必要だろう。
どんな組織も大きくなれば、会員同士のランクづけもやらざるを得なくなる。
お金の話をすれば、昇段・昇級審査料も、組織の運営費として重要な収入源になる。
その制度をきっちりマネジメントして行くのも、なかなか大変」
「そういうわずらわしさもあるから、古久澤先生はあまりブリージングを大きくすることは考えられていないのかも。
ところでさ~、武道とかの段って、どんな基準で出してるのかな?最高段位ってどのくらい?」
「武道の代表格である剣道は、実質的な最高段位は八段。
それ以上の段になると、組織への貢献度などを考慮して昇段になるようだ。
他の武道も事情は似たり寄ったりだと思う。
どんな基準で段を出しているのかは、当然その流派の考え方によるので、部外者がアレコレ言う筋合いはない。
先生によっても、考え方が違う場合もあるし」
「具体的に言うと?」
「古久澤先生が10~20代の頃に師事した、古流空手の先生は、段についてもユニークな考え方をする人だったと言う。
修行歴が全然浅い人にも、三段とか四段などの高い段位をドンドンくれたそうだ」
「氣前がいいね~!」
「疑問に感じた古久澤先生が質問したところ、
『段と言うのは、その実力十分だからあげるのではなく、帯にふさわしい力を身に着けるよう励みなさい。
という意味であげるのだ』
とのお答えだった。
実際に昇段に安心して精進を怠る弟子からは、一度与えた段位をはく奪することもあったとのこと」
「仕事上の肩書だって同じかもね。
地位や肩書に胡坐をかいて、それにふさわしい能力と器をつくらなかったら、昇進も苦しみの素になるだけ。
って言うか、周りが迷惑だよ(笑)。
『仕事を任された』って言うのも、全幅の信頼で任されたんじゃなくて、不安を持ちながら任されたと受け止めるべきだし。
そこで見事な舞を見せれば、次はもっと大きな仕事を任されるって寸法」
「段や級は修行の励みにも自信にもなるけれど、自分の強さや実力を保証してくれるものではない。
実際に、色んな流派の段や免状はいっぱい持っているけれど、ハッキリ言って余り強くない人もいる。
そうかと思えば、段なんか持っていなくても、メチャクチャ強い人もいる。
だから余りとらわれない方がいい」
「仕事にも人生にも、本当は保険・保障なんか無いもんね。
整体だって、免許を取った後も、定期的に講習会に出ていないと、だんだん自己流になって技が効かなくなっちゃう。
それでも強引にやっていると、しまいに事故を起こす。
一回でも事故を起こしたら、整体師としてはオシマイだもん」
「ブリージングストレッチの指導員も事情は同じ。
指導員資格を取ったと言うのは、『基本メソッドまでだったら教えていいよ』というレベル。
車で言えば、公道を走っていいよ=運転免許を取っただけ のようなもの。
上手に運転できるようになるか、運転を活用して稼げるようになるかは、その後の精進で決まる」
「だから指導員資格も更新制で、勉強会の受講が義務付けられたもんね。
少なくとも基本については、生徒さんに正しく伝える責任があるから当然だよね」
「段位制度は武道ばかりとは限らない。氣功にも段がある流派がある。
昔、古久澤先生が教わっていた先生も、弟子に段を与えていたそうだ」
「氣功の段位って、それこそ何を基準に決めるの?」
「その先生の場合は、『その人の氣功で、どれだけ社会に貢献できるのか』を基準に、『この生徒は何段』と決めていたとのこと」
「それって素敵な考え方かも。
特に氣功の場合は、色々出来るようになっても、私利私欲に走り始めると、能力がレベルダウンしちゃうもんね。
徳を養うためにも、いい方法かも。
武道だって、その人が強いってだけじゃ、他人の益になるとは限らないもんね。ただの乱暴者になるだけじゃ社会悪」
「どんなメソッドでも、その専門分野の中でトップクラスになったとしても、その分野と何の関係もなく、興味もない人からすれば、
『そのことに何の意味があるの?』
ということになる。悪意が無くてもそうなる。
ストレッチやヨガのポーズだって、ただのアクロバテイックな動きなら、サーカスでも見ていた方が面白い。
健康法も、自分ひとりが健康・超元氣になるだけだと、そこから発展していかない」
「でも、他分野への応用の可能性を示せれば、多くの人が飛びついてくるもんね。
伊藤昇先生の胴体力メソッドがブームになったときも、色んな分野のアスリートや、武道家、身体メソッドの専門家が集まって来たそうだし。
『つなげる』ことで、そのメソッドが社会的な性格を帯びるっていうことだよね。
ブリージングが目指している、『呼吸で人生をストレッチする』ことには、そういう範囲さえ含まれているってこと」
「組手の話に戻ると、健康法教室を運営して行く上でも、指導者は組手が上手にならないといけない。
体操自体は身体が固くて、あまり動けなくても、氣にする必要はない。
実は皮肉なことに、先生が動ける教室ほど、人が来ない傾向がある」
「どういうこと?」
「動くのが得意な人は、動けない人間の氣持ちや事情が分からないから。
だから生徒が苦戦していると、ついついダメ出しして、治しまくりたくなってしまう」
「それって生徒は嫌になっちゃうかもね。
特に健康法の教室は、身体が固くて、アチコチ痛い中高年の生徒がお客さんのメインだし。
だからブリージングの基本クラスでは、あまりフォームについて厳しく言わないもんね。
根本的な原理を外していない限りは、その人なりの形でOK。
そもそも、健康法の場合は、テニスやゴルフみたいに、『このメソッドがやりたい』と思って通ってくるんじゃないもんね。
入会の動機は『この痛みを消したい、不調をなくしたい』だもん。
『とてもこんなキツイことは、自分には出来ない』と思ったら、余所へ行っちゃうよね。
不調を消すだけだったら、薬でもいい訳だし」
「先生の動きに感心して、人が集まって来るのは最初だけ。
生徒にしてみれば、『先生がどれだけ動ける人か』よりも、『自分の身体がどれだけ楽になるのか?』の方が遥かに重要。
せっかく来てくれた生徒に継続して通ってもらうためには、固い人でも出来るような工夫や<思いやり>が必要。
身体が固くて動けない先生の方が、そういうことに氣づきやすい」
「健康法の指導者は、年輩の方がいい面があるっていうのも、そのことがあるかもね。
スポーツ界の、『名選手必ずしも名コーチならず』って格言にも通じるかも」
「基本の体操については、余りうるさく言わない反面、先生が組手のときは、親身になって上手にほぐしてくれると、更にいい。
このギャップがウケる。生徒とも呼吸があって仲良くなれる。信頼もしてくれる。
もちろん、特定の生徒にだけでなく、全部の生徒に平等にやってあげることが鉄則」
「だから指導者・指導者志望者こそ、組手が上手にならなきゃいけないってことか。
色んな生徒に上手に組手が出来るようになるほど、体操への理解も深まるだろうし。
本当に体操と組手は『車の両輪』だね」
(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

写真は、顔に整体=美顔してもらっているボクです。
う~ん、氣持ちいい。身も心もほぐれていくようです。美男犬になれるかしら?
本当に組手っていいものですね~。
段の話についてコメントすると、武道では最初に貰う段を一段ではなく、初段(しょだん)といいます。
『初段を貰ってからが本当の修行だから、初心を忘れずに励みなさい』という意味が込められているからです。
人は初心を忘れると必ず失敗します。
でも、いつも新鮮な氣持ちを保って学び続けることは至難のワザです。
あるヨガの先生は、
『生徒が一番変わるのは、実は初めての体験レッスンのとき。
顔つきまで変わってしまう』
と言っています。
ヨガ歴10年の生徒と、入会したての生徒も本質的な差は無いとも。
もちろん、長くやっていれば、テクニックは上達するし、知識も増えるでしょう。
しかし、根本的な感じ方・生き方への影響という意味では、初体験のインパクトに勝るものは無いのかも知れません。
特に『自分は修行歴が長いんだ』とこだわっている生徒ほど、なかなかそこから伸びがたいようです。
いつも初心で臨めるのが、凡人と名人の違いかも知れません。
読者のみなさんも、毎日を新鮮な氣持ちで送ってください。
それが『呼吸で人生をストレッチする!』ことにつながっていくと思いますよ~。
古久澤先生のメルマガとブログに学んで、日々新たな氣持ちで生きよう!
「呼吸で人生をストレッチする!」
「夢をかなえる心のストレッチ」
ブログ「青い空と碧い海」
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のメルマガとブログはこちらです。
メルマガ「小顔なんて簡単!」
つづく
基本のストレッチは一通り覚えたので、次は何を目指せばいいか迷っています。
というのは、上達の基準=何をもって体操が上手になったと判断するか?がハッキリ分からないからです。
その基準を教えてください。
ブリージングにも昇級制度や昇段制度があると、自分の上達具合が明確になり、励みにもなるのではないでしょうか?
ブリージングストレッチ無段」
「確かに、『体操の上達判定基準とは?』って改めて聞かれると、ハタと考え込んじゃうよね」
「古久澤先生は、
『組手(くみて)=二人組の体操 が上手に出来るかどうか=相手の身体を氣持ちよくほぐし、整えられるか?』
が判定基準だとおっしゃっている」
「そうか~。体操と組手は裏表だもんね。
だから全てのブリージングストレッチは、二人組で行えるように設計されているよね」
「古久澤先生は、武道を長年修行されたので、ブリージングストレッチも武道の考え方に強い影響を受けている。
相談者さんは、『基本のストレッチは一通り覚えた』と言っているが、武道に置き換えれば、基本の突き蹴りの形や、基本型の順番を覚えたというレベル。
白帯=一番下の帯 としては、何とか格好がついてきたという所」
「でも、武道の技は使うことが目的だから、組手=実際の相手との攻防 で、突き蹴りで相手を倒せないと意味がないよね。
白帯レベルじゃ、まだ全然無理だよ」
「そのとおり。整体やセラピーの例で考えても、憶えたばかりの技で、いきなりお客さんの身体を整えられる訳がない。
現実に『使う・使える』という根本目的を忘れると、新しい技を次々に求めて歩く、マニア・ジプシーになってしまう」
「武道も整体も、『使えない技のデパート』みたいな人になっても仕方ないもんね。
どんな仕事や専門分野にも、共通することだよ。
まあ、その人がコレクターとして楽しんでいるなら、いいけどさ」
「武道の世界には『型名人』という言葉がある。
一人で型を演じていると、まさしく名人芸で拍手したくなるほど格好いい。
しかし、実際の組手になると、素人のケンカのようなメチャクチャになってしまう。
これが型名人。つまり格好だけで全然使えない。
心身統一合氣道創始者の、藤平光一先生は、型名人をつくらないためにも、二人組の稽古をとても重視していた。
『出来ているつもりが一番怖い』とも弟子に教えていた」
「整体でも、フォームは大先生よりキレイなのに、全然治せない人が居るみたいだしね。
体操に置き換えると、見た目の形が柔らかくて、よく伸びていても、全然体質が改善されないタイプってこと?」
「ダンサーに多い。
関節の可動域が大きいから、苦も無く理想的な形が取れる。
しかし、<意識>が伴っていないから、刺激が身体に入らない。
だから体操しても、なかなか身体が変わらない」
「意味なく形が取れてしまう ってことか」
「古久澤先生の著書、『しあわせを引き寄せるカラダ』には、『他人は自分の鏡』と書かれている(114P~115P)。
これは単なる人生論・道徳論ではなく、組手の実践に通じる教え。
人間関係が上手く行かないのを、相手の問題だと考えている間は何も解決しない」
「組手で自分がヘタクソなのを棚にあげて、相手のせいにしていたら、絶対に上手になれないのと同じことだよね。
相手の身体を氣持ちよくほぐせないのは、自分の技が間違っているのかも知れない。
相手との距離が近すぎたり、遠すぎたり、間合い=距離感が拙いのかも知れない。
相手の身体に対する角度=ポジショニングに問題があるかも?
相手の呼吸を無視していないか?
検討すべき点はいっぱいあるよね」
「以上は、人間関係や仕事に置き換えても、そのまま通用する原理。
だから組手が上手になれば、誰とでも仲良くなれ、どこへ行ってもしあわせに生きて行ける人間になれる。
目の前の相手の身体のコリをほぐし、歪みを正せるということは、人間関係や仕事上の問題のこう着や歪みを解決できるというのと同じことだからである。
組手で男性に多いのが、力任せに、強引にやってしまうケース。
恥ずかしながら、チンパンも結構その傾向がある(笑)」
「やっぱり一般的に男性は乱暴だもんね。
女性より筋力があって、育ち方も違うから、無理もない面があるんだけどさ。
言葉や態度が優しそうでも、組手になると、ガシッ!って感じで思い切りつかむ人が多いよね」
「実はそっちが本性。
手にはその人の無意識の人格、心理学的に言うと『シャドウ』が出る」
「シャドウは車の運転にも出やすいよね。
普段穏やかでも、追い抜かれようものなら、血相を変えてカーチェイスを始める人が居るし。
あと、お酒。
アルコールが人を変えるんじゃなくて、緩んだことで隠されている本来の性格が出てくるってことだよね」
「酒は超陰性で、全てを緩め、溶かすからね。
落語家の立川談志も、
『酒が人間をダメにするのではない。人間は元々ダメなものだということを、酒が教えてくれるのだ』
と言う秀逸なアフォリズムを遺している(笑)。
特に男性の場合は、組手を通して、他者のボディへのソフトな触れ方を学ぶことは、人生の大きな財産になると言っていい」
「学校教育でも、社会に出てからも、そんなことを学習する機会は、普通無いもんね。
自分の手のコントロールを通して、シャドウを制御できるようになれば、『ついカッとなって思わず手が出た』なんて事態も減るかも。
DV男撲滅のためにも、男性はすべからく組手を学んでほしいよ。
他人の身体への触れ方が乱暴な人は、仕事や人間関係のアプローチだって乱暴で自分本位だろうし」
「組手で相手の身体に乱暴に触れる人は、体操の時に自分の身体にも同じことをやっている。
組手でいきなりガシッ!と押さえつけられたり、ドスン!と踏みつけられたりすると、受け手の筋肉が緊張する。
だから施術側がいくら頑張っても、刺激が表面で弾かれて、深部に届かない」
「体操も力んで行うと、刺激が表面でブロックされちゃって、効果が出にくいってことだよね。
まさしく他人は自分の鏡。組手で柔らかく出来るようになれば、体操も自然に上手になっちゃう」
「古久澤先生の師・伊藤昇先生も、二人組の体操をすごく重視されていたとのこと。
まだ動きが未熟な会員でも、二人組のセンスがいい場合は、ドンドン上級者のクラスに参加させていたと言う。
古久澤先生も、
『他人の身体を組手で上手にほぐせるようになったら、ブリージングストレッチの一級~二級くらいだと思っていい』
とおっしゃったことがある」
「・・・・・って言うことは、実はブリージングストレッチにも、段級があるってこと?」
「もちろん。口に出して言わないだけで、生徒全部に段や級をつけているとのお話。
しかし、それを明確にランクづけすると、傲慢になったり、会員間で露骨な上下関係などが出てくるリスクもあるので言わないとのこと。
先生ひとりが分かっていればOK。
実際に武道の道場でも、帯の色が変わったり、段もちになったりすると、お鼻が高くなっちゃう人が時々居る」
「一般社会=会社とかでも、役付きになった途端に威張りだす人がいるのと同じことか」
「確かに人間はプライドを持たなきゃいけない。しかしプライドにも陰陽がある。
表面上の肩書に捉われると、安っぽいプライドだけが高い人になりかねない」
「その専門分野を学ぶことで、自分を高め、社会に益するのが本道の筈なのに、威張ることが目的にすり替わったら、そんな修行はしない方がマシかもね。
誰でもそうなるリスクはあるし」
「ブリージングのいいところは、十年以上続けているベテラン会員も、入会したての会員も、同じ生徒扱いで変な上下関係が無い点」
「生徒同士はほとんどタメ口で、友達会話だもんね。
チンパン君も十年以上やっているけど、全然後輩たちに敬われてないし(笑)」
「そのとおり(笑)。敬って欲しいとも思わないけど。
もちろん武道の道場とかだったら、先輩後輩のケジメは必要だろう。
どんな組織も大きくなれば、会員同士のランクづけもやらざるを得なくなる。
お金の話をすれば、昇段・昇級審査料も、組織の運営費として重要な収入源になる。
その制度をきっちりマネジメントして行くのも、なかなか大変」
「そういうわずらわしさもあるから、古久澤先生はあまりブリージングを大きくすることは考えられていないのかも。
ところでさ~、武道とかの段って、どんな基準で出してるのかな?最高段位ってどのくらい?」
「武道の代表格である剣道は、実質的な最高段位は八段。
それ以上の段になると、組織への貢献度などを考慮して昇段になるようだ。
他の武道も事情は似たり寄ったりだと思う。
どんな基準で段を出しているのかは、当然その流派の考え方によるので、部外者がアレコレ言う筋合いはない。
先生によっても、考え方が違う場合もあるし」
「具体的に言うと?」
「古久澤先生が10~20代の頃に師事した、古流空手の先生は、段についてもユニークな考え方をする人だったと言う。
修行歴が全然浅い人にも、三段とか四段などの高い段位をドンドンくれたそうだ」
「氣前がいいね~!」
「疑問に感じた古久澤先生が質問したところ、
『段と言うのは、その実力十分だからあげるのではなく、帯にふさわしい力を身に着けるよう励みなさい。
という意味であげるのだ』
とのお答えだった。
実際に昇段に安心して精進を怠る弟子からは、一度与えた段位をはく奪することもあったとのこと」
「仕事上の肩書だって同じかもね。
地位や肩書に胡坐をかいて、それにふさわしい能力と器をつくらなかったら、昇進も苦しみの素になるだけ。
って言うか、周りが迷惑だよ(笑)。
『仕事を任された』って言うのも、全幅の信頼で任されたんじゃなくて、不安を持ちながら任されたと受け止めるべきだし。
そこで見事な舞を見せれば、次はもっと大きな仕事を任されるって寸法」
「段や級は修行の励みにも自信にもなるけれど、自分の強さや実力を保証してくれるものではない。
実際に、色んな流派の段や免状はいっぱい持っているけれど、ハッキリ言って余り強くない人もいる。
そうかと思えば、段なんか持っていなくても、メチャクチャ強い人もいる。
だから余りとらわれない方がいい」
「仕事にも人生にも、本当は保険・保障なんか無いもんね。
整体だって、免許を取った後も、定期的に講習会に出ていないと、だんだん自己流になって技が効かなくなっちゃう。
それでも強引にやっていると、しまいに事故を起こす。
一回でも事故を起こしたら、整体師としてはオシマイだもん」
「ブリージングストレッチの指導員も事情は同じ。
指導員資格を取ったと言うのは、『基本メソッドまでだったら教えていいよ』というレベル。
車で言えば、公道を走っていいよ=運転免許を取っただけ のようなもの。
上手に運転できるようになるか、運転を活用して稼げるようになるかは、その後の精進で決まる」
「だから指導員資格も更新制で、勉強会の受講が義務付けられたもんね。
少なくとも基本については、生徒さんに正しく伝える責任があるから当然だよね」
「段位制度は武道ばかりとは限らない。氣功にも段がある流派がある。
昔、古久澤先生が教わっていた先生も、弟子に段を与えていたそうだ」
「氣功の段位って、それこそ何を基準に決めるの?」
「その先生の場合は、『その人の氣功で、どれだけ社会に貢献できるのか』を基準に、『この生徒は何段』と決めていたとのこと」
「それって素敵な考え方かも。
特に氣功の場合は、色々出来るようになっても、私利私欲に走り始めると、能力がレベルダウンしちゃうもんね。
徳を養うためにも、いい方法かも。
武道だって、その人が強いってだけじゃ、他人の益になるとは限らないもんね。ただの乱暴者になるだけじゃ社会悪」
「どんなメソッドでも、その専門分野の中でトップクラスになったとしても、その分野と何の関係もなく、興味もない人からすれば、
『そのことに何の意味があるの?』
ということになる。悪意が無くてもそうなる。
ストレッチやヨガのポーズだって、ただのアクロバテイックな動きなら、サーカスでも見ていた方が面白い。
健康法も、自分ひとりが健康・超元氣になるだけだと、そこから発展していかない」
「でも、他分野への応用の可能性を示せれば、多くの人が飛びついてくるもんね。
伊藤昇先生の胴体力メソッドがブームになったときも、色んな分野のアスリートや、武道家、身体メソッドの専門家が集まって来たそうだし。
『つなげる』ことで、そのメソッドが社会的な性格を帯びるっていうことだよね。
ブリージングが目指している、『呼吸で人生をストレッチする』ことには、そういう範囲さえ含まれているってこと」
「組手の話に戻ると、健康法教室を運営して行く上でも、指導者は組手が上手にならないといけない。
体操自体は身体が固くて、あまり動けなくても、氣にする必要はない。
実は皮肉なことに、先生が動ける教室ほど、人が来ない傾向がある」
「どういうこと?」
「動くのが得意な人は、動けない人間の氣持ちや事情が分からないから。
だから生徒が苦戦していると、ついついダメ出しして、治しまくりたくなってしまう」
「それって生徒は嫌になっちゃうかもね。
特に健康法の教室は、身体が固くて、アチコチ痛い中高年の生徒がお客さんのメインだし。
だからブリージングの基本クラスでは、あまりフォームについて厳しく言わないもんね。
根本的な原理を外していない限りは、その人なりの形でOK。
そもそも、健康法の場合は、テニスやゴルフみたいに、『このメソッドがやりたい』と思って通ってくるんじゃないもんね。
入会の動機は『この痛みを消したい、不調をなくしたい』だもん。
『とてもこんなキツイことは、自分には出来ない』と思ったら、余所へ行っちゃうよね。
不調を消すだけだったら、薬でもいい訳だし」
「先生の動きに感心して、人が集まって来るのは最初だけ。
生徒にしてみれば、『先生がどれだけ動ける人か』よりも、『自分の身体がどれだけ楽になるのか?』の方が遥かに重要。
せっかく来てくれた生徒に継続して通ってもらうためには、固い人でも出来るような工夫や<思いやり>が必要。
身体が固くて動けない先生の方が、そういうことに氣づきやすい」
「健康法の指導者は、年輩の方がいい面があるっていうのも、そのことがあるかもね。
スポーツ界の、『名選手必ずしも名コーチならず』って格言にも通じるかも」
「基本の体操については、余りうるさく言わない反面、先生が組手のときは、親身になって上手にほぐしてくれると、更にいい。
このギャップがウケる。生徒とも呼吸があって仲良くなれる。信頼もしてくれる。
もちろん、特定の生徒にだけでなく、全部の生徒に平等にやってあげることが鉄則」
「だから指導者・指導者志望者こそ、組手が上手にならなきゃいけないってことか。
色んな生徒に上手に組手が出来るようになるほど、体操への理解も深まるだろうし。
本当に体操と組手は『車の両輪』だね」
(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

写真は、顔に整体=美顔してもらっているボクです。
う~ん、氣持ちいい。身も心もほぐれていくようです。美男犬になれるかしら?
本当に組手っていいものですね~。
段の話についてコメントすると、武道では最初に貰う段を一段ではなく、初段(しょだん)といいます。
『初段を貰ってからが本当の修行だから、初心を忘れずに励みなさい』という意味が込められているからです。
人は初心を忘れると必ず失敗します。
でも、いつも新鮮な氣持ちを保って学び続けることは至難のワザです。
あるヨガの先生は、
『生徒が一番変わるのは、実は初めての体験レッスンのとき。
顔つきまで変わってしまう』
と言っています。
ヨガ歴10年の生徒と、入会したての生徒も本質的な差は無いとも。
もちろん、長くやっていれば、テクニックは上達するし、知識も増えるでしょう。
しかし、根本的な感じ方・生き方への影響という意味では、初体験のインパクトに勝るものは無いのかも知れません。
特に『自分は修行歴が長いんだ』とこだわっている生徒ほど、なかなかそこから伸びがたいようです。
いつも初心で臨めるのが、凡人と名人の違いかも知れません。
読者のみなさんも、毎日を新鮮な氣持ちで送ってください。
それが『呼吸で人生をストレッチする!』ことにつながっていくと思いますよ~。
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つづく
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