怒りと人間関係
- 2015/03/22
- 08:00
「嫌いな人とも我慢してつき合っていますが、根が怒りっぽいので、すごくストレスが溜まります。
その分、家で夫とのケンカが絶えません。
もっと外でも怒りを発散した方がいいんでしょうか?
女ドラゴン怒りの鉄拳」
「この相談には、二つの問題が含まれているよね。
一つ目は、人間関係の間合いの取り方について。
二つ目は、怒りの感情をどう扱うか?」
「まず、人間関係について言えば、嫌いな人と我慢してつき合う必要なんか、全然ない。
古久澤先生もよくおっしゃっているけれど、
『嫌いな人も受け入れて、仲良くすることが、ブリージングの教えだ』
と勝手に思い込んでいる人が、意外と多い。
だから、相談者さんのように無理して嫌いな人とつき合ったりする人も出てくる。
あるいは、万人と仲良く出来ない自分を責める」
「でも、ブリージングでは、そんなことは全然薦めていないもんね。
『しあわせを引き寄せるカラダ』=しあわせ本の103ページには、
『あなたは嫌いなことをするために生まれてきたのですか?』
って書いてあるもん。
嫌々仕事をやっている人は、呼吸が弱まって、氣も出なくなっちゃう。
人間関係だって同じだよ」
「しあわせ本の、92ページには、『類は友を呼ぶ』=呼吸の質・強弱の合う者同士でひきつけあう ことが書かれている。
つまり、嫌なヤツとウマが合う人は、その人も嫌なヤツなのである」
「だったら、嫌なヤツからは嫌われて、縁遠くなった方がいいもんね。
おまわりさんが好きな泥棒は居ないもんね。泥棒は泥棒同士でつるむのが自然だよ」
「相手の人柄が良くても、仕事の上での考え方・価値観が違ったりすると、一緒にビジネスをやるのは難しい。
儲け第一主義の人と、世のために役立つビジネスがしたいと願う人とでは、やがて袂を分かつ可能性が大だから、最初から組まない方が無難」
「そうやって縁を切ったところで、自分の呼吸にふさわしい人が必ず現れるから、心配する必要はないしね。
般若心経で言う『不増不減(ふぞうふげん)』だよ。
一生の間に、本当に親しくつき合える人間の数は、せいぜい十数名。
その中に、わざわざ嫌いな人を入れる必要は無いもんね」
「職場の人間関係でも、仕事に支障をきたさない限りの、最低限度のコミュニケーションだけを取って、それ以上は関わらなければいい。
耐えがたいほど嫌いな人が居るなら、配置転換を願うもよし。
あるいは仕事を変える」
「『収入が減るから、簡単に仕事を変えられない』って言うかも知れないけど、嫌な人間関係を我慢していると、ガンなどの難病になりかねないもんね。
しあわせ本の170~171ページにも、『ガンは我慢強い人がなりやすい』って書いてあるし。
お金より、健康・命の方が大事だよ。
でもさ~、その一方でしあわせ本には、『自分を許し、他人を許し、すべてを受け入れる』ことが大事だって書いてあるじゃん?=188ページ。
確かにその部分だけ読んだら、『嫌いな人とも我慢して仲良くしなさい』って誤読するかもよ?」
「『許す』と言うのは、『仲違いした相手と、関係を修復しろ』という意味ではない。
起きてしまった過去のことは、もうどうしようもないことなんだ・終わったことなんだと『受け入れて』、恨みを捨てろ と言うこと。
自分が恨んでいると、相手の心も鏡のように反応して、いつまでもお互いの運命が引っ掛かり、邪魔し合い続ける」
「仲良くする、修復するどころか、感情・氣のレベルでも完全に縁を切っちゃえってことか。
親切とは、『親しさを切る』って書くもんね。
切ることが、ある時は人間関係の適切な間合いの取り方になるんだね。
でも、切っちゃいけない人間関係もあるんじゃない?身内や夫婦とか。
相談者さんも、夫婦げんかばっかりで、旦那さんとの縁が切れちゃ拙いよ」
「もちろん、肉親や身内との関係は、極力切らない方がいい。
夫婦も離婚してもOKだけど、添い遂げられるものなら、最後までやり遂げた方がよい。
相談者さんの夫婦喧嘩についての対策は、また後で触れよう。
まあ、人間関係の間合いについては、こんなところ」
古久澤先生のメルマガとブログには、人間関係にも活用できる知恵がいっぱい。
「呼吸で人生をストレッチする!」
「夢をかなえる心のストレッチ」
ブログ「青い空と碧い海」
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のメルマガとブログはこちらです。
メルマガ「小顔なんて簡単!」
ブログ「ふぐじろうのブリージングストレッチ日記」
「じゃあ次は怒りの取り扱いについてだね。
カラダのレベルで言えば、怒りを司どるのは肝臓。だから肝臓を整えることが基本だよね」
「肝臓を整える体操・食事法については、前回=3月15日の記事で詳しく紹介したので、そちらを参考にしてほしい。
しあわせ本の130ページにも書いてあるように、相手に怒りや恐れなどのマイナス感情を抱くのは、相手よりも自分の呼吸が浅いから。
だから、呼吸の器である身体を、胸郭を中心にストレッチして行けば、無駄な怒りを感じることも減っていく。
お経も呼吸法になるから、ブリージングでは般若心経の読経を薦めている」
「お坊さんは、読経のスペシャリストだから、怒りを持つことなんてないのかな?」
「もちろん、怒るときは怒る。
しかし、修行を積んでいるお坊さんほど、怒りに振り回されたり、引きずられることが減るらしい」
「凡人はいつまでも引きずっちゃうもんね」
「ある偉いお坊さんが、道ですれ違った美しい女性を見て『ああ、美しい人だ』と呟いた。
その呟きを耳にした弟子が、お寺に戻ってから、
『お師匠様のように長年修行しても、色欲は消えないのでしょうか?』
と質問した」
「師匠は何て答えたの?」
「弟子の顔を不思議そうに眺めて、
『ワシは確かにその女性の美しさを愛でたが、それっきりで頭から消え、お前に言われるまで忘れていた。
お前はずっとその女性のことを考えていたのか?お前の方がよほど色に捉われているではないか』
と答えた」
「つまり、そのお坊さんは、色欲・異性に『こだわっていない、とらわれない』ってことか。怒りも同じだね」
「最近、『怒ってはいけない』という類の本がいっぱい出ている。
しかし、怒りという感情も必要だから、人間に与えらえている」
「人間関係だって、『こいつは何をしても怒らない、刃向ってこないだろう』と思ったら、すごくバカにした態度に出る人も残念ながら居るもんね。
ジャイアン・スネ夫と、のび太の関係みたいなもんだよ。
のび太はドラえもんの力を借りて、怒りを解放するもんね。
いつも調子に乗ってやり過ぎて、のび太は最後にひどい目に会うけどね(笑)。
10の怒りで済むところに、100の怒りをぶつけると、我が身を滅ぼすって教えだよ」
「だから相談者さんも、やたらと怒りを解放すれば良いというものではない。
それが許されるのは子どもだけ」
「怒りを口にすることで、余計負の記憶が上書きされていく面もあるしね。
自分の言葉を一番身近で聴いているのは、自分の脳だから」
「確かに怒りが持つエネルギーはすさまじい。窮鼠(きゅうそ)猫を噛むじゃないけど、身を捨てて向かってくる相手には、強者も思わぬ不覚を取る。
歴史の例で言えば、当時、日本最強の権力者だった織田信長も、明智光秀の謀反であっさり殺されてしまった。
信長はやたらと光秀をいじめ、暗殺を決意させるところまで追いつめてしまった」
「でも、光秀は秀吉に負けて、三日天下で終わっちゃうもんね。
結果から言えば、秀吉に天下を取らせるために謀反を起こしたみたいなものだよ。
やっぱり短氣は損氣だよね」
「刹那的な強さは、その一瞬だけ。宮本武蔵も、
『ただ死ぬ(氣になる)だけなら、誰でも出来る。
それに加えて、確実に勝てる技と知恵を身に着けていてこそ、武士(武術家)だ』
と書き残している。
人間は、身体を整えるだけじゃなくて、先を見通す知恵を身に着けることも大切」
「賢い人は、怒りのエネルギーを別な形に転化するもんね。
発奮して仕事や趣味にぶつけたりとか。それでひとかどの結果を出す人もいるし」
「公憤(こうふん)=自分のためでなく、世のため人のために怒る という感情も、怒りのエネルギーが昇華されたもの」
「桃太郎が、鬼退治を決意するようなものだね。
でも、『自分は世のため、人のために怒っているんだ』って言いながら、本当は自分の個人的感情・うっぷんを晴らすために怒っている人もいるから、しっかり見極めなきゃね(笑)」
「まあ自覚的に公憤を装っている人は、意外と人の迷惑にならない。見苦しくてウザイだけ(笑)。
私憤で怒っているくせに、『自分は公憤の人だ』と信じ込んでいるタイプは厄介。
正義の味方きどりなので、絶対に反省しないし、限度と言うものを知らない」
「まるで、どこかの国みたいだね(笑)」
「確かに、『物言わぬは、腹ふくるるわざ』=言いたいことを腹に貯めておくと、ストレスになる だから、何等かの形で吐きだせる場を持つことは、ある意味必要。
飲み屋が絶対に無くならないのは、愚痴の吐き出し場所になっているから」
「『王様の耳はロバの耳』の童話もそうかもね。ある国の王様は、ロバの耳が生えていた。
それを知った床屋は、秘密を誰かに話したくてたまらない。
そこで野原に開いた大穴に向かって『王様の耳はロバの耳!』って叫ぶんだよね。床屋はスッキリ。
ところが、その声が風に乗って国中に広まっちゃたという(笑)。
吉本ギャグじゃないけど、『ここだけの話だからな!』は、ここだけで終わらないもんね。隠すより現るるなし。
そして情報は風がもたらすということ=風説・風評」
「心身統一合氣道の創始者・藤平光一先生は、
『臍下(せいか)の一点が出来れば、マイナスの想いはみんなそこに放り込める。だからいつも氣分爽快でいられる」
と教えていた。
臍下の一点とは、下丹田、肚と同じような意味。臍下の一点や丹田は、天地とも通じているので、捨てたものは全てアースされてしまう。
自分の内部にストレスを捨てられる場を持つ人は強い」
「相談者さんは、自分の怒りを捨てる場所・穴として、旦那さんを使っているんだね。
穴替わりにされちゃ、旦那さんもたまらんから、夫婦喧嘩になっちゃうよね。
相手は自分の鏡だもん。発した通りのものが返ってきちゃう」
「ここで、古代ローマの話が参考になる。古代ローマも日本と同じく多神教の国だった。
色んな役割を持つ神様がおり、なんと、夫婦喧嘩担当の神様までいたのである」
「夫婦喧嘩を仲裁してくれる神様なの?」
「いかにも。
夫婦喧嘩に限らず、ケンカはお互いに向かい合って=対立して、相手をねじふせようとする。
お互いに感情的になって、どんどん争いはエスカレートする。
取り返しがつかないほど関係が悪化する前に、神様が鎮座する祠(ほこら)に夫婦連れだって出かける。
夫婦は交互に祠に向かって、相手の否を訴える」
「それで解決するの?」
「まず、夫婦が並んで、同じ方向=祠の方向に視線を向けることがミソ。
実は古久澤先生も、ケンカの仲裁が得意だという。特に若いころは、血氣にはやる仲間のケンカをよく収めたとのお話。
ケンカの仲裁にはコツがあって、今にも殴りかからんばかりの相手の手をつかんで『まあ待て』と抑える。
しかし、決してこのとき、相手の正面に立ちはだかってはいけないという」
「相手は頭に血が昇っているから、余計興奮して、仲裁者にまで手を出すかも知れないもんね」
「だから相手の横に立って、手首をつかんで抑える。
すると同じ方向を向くから、相手は身体のレベルで、『この人は味方だ』と感じるので、説得を受け入れる体勢が出来る」
「つまり、ポジショニングが大事ってことだね。
整体の技をかける時や、組手=二人組の体操を上手に行うためにも、通じる教えだよ」
「神様の祠に並んで向き合う夫婦は、視線も氣の方向も、同じ方向を向いているので、それだけで同調し始めている。
更に、一方が相手の否を神様に向かって訴えている間、もう一方は口を挟んで遮ってはいけないと言うルールがある。
だから妻は夫の否を訴えることを、心行くまで出来る。
人が怒っているとき、相手を非難しているときは、息を吐き出して楽になりたいから。
夫が妨害されることなく、妻は吐きたいだけ息を吐ける。
合氣道の極意は、向かってくる相手に立ち向かうのではなく、『相手が行きたい方向に行ききらせてやる』よう誘導することだという。
しまいに相手は、自分の勢いで勝手に倒れてしまう。これと似ている」
「そして、相手の話を効くのは、息を吸うことだもんね。
夫は妻が息を吐ききるまで(吐くことを意識して呼吸する)、息を吸っているわけか(吸うことを意識して呼吸する)」
「次に夫が妻の否を訴える番になると、妻は黙って聞いていなければいけない。
つまり、夫が息を吐いて、妻が息を吸う」
「これを何回か繰り返すうちに、だんだん呼吸のリズムが合ってくると言う訳だね。
息が合ってきたら、自然に和解しちゃうもん」
「ケンカ相手に発する言葉は、感情的にわめき散らしているだけ。
しかし、神様と言えども、第三者に通じるように訴えるには、客観的に整理して話さなければいけない」
「それだけで、すでに冷静になり始めているもんね」
「妻の訴えを聴いているうちに、『確かに妻の言い分にも一理ある』と夫が思うこともあったであろう。
自分に直接言われたら、感情的に反発するようなことでも、神様=自分たちより遥かに偉い第三者 に話しているんだと思えば、聴きやすい。
同じように、夫の訴えを聴いた妻が、『私の方にも反省すべき点があった』と感じることもあったに違いない」
「人間関係は、『私』と『あなた』と、『私とあなたとの<関係性>』=つながり から出来ているもんね。
これが三の法則。
『神様』に<関係性>の位置に入ってもらうことによって、相手を自分の鏡として観れるようになり、自分たちが置かれた状況を大きな目で眺めることも出来るようになっちゃう」
「かくして、すっかり和解した夫と妻が、手に手を取って仲良く帰ることも、結構あったらしい。
相手は同じ人間なんだけど、自分の観方・感じ方が変わることによって、関係性が修復された=ストレッチされたということ」
「しあわせ本の、114~115ページに、『相手は自分の鏡だから、自分が変わらないと相手も変わらない』って書かれているとおりだね。
アタシたちは、昔の人は無知だったと思い込み勝ちだけど、古代ローマの夫婦喧嘩の神様の知恵は、優雅で洒落てるじゃん。
相談者さんも、古代ローマ人をマネして、家に夫婦喧嘩の神様を迎える神棚をつくって、旦那さんと一緒に使ってみると、無用な夫婦喧嘩も減るかも(笑)」
「確かに現代人は、昔の人に比べて、遥かに多くの科学的知識や情報を持っている。
しかし、せっかくの情報を、本当に自分のしあわせに結び付けられているかは疑問。
少なからぬ人が、大量の情報に振り回され、自分の感情に振り回され、自らしあわせから遠ざかっている。
もちろん、情報の罪ではないけれど」
「つまり、『もとはこちら』だから、まず身体から自分を整えなきゃね」
(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

写真は、『クマのプーさん』になりすましたボクです。
なりすまし詐欺が、社会問題になっていますが、実は人の感情も『なりすまし』が多いんです。
何年も前の出来事について、ずっと怒り続けるなんて、本当は人間には出来ません。
いつまでも引きずっているのは、思い出すたびに、わざわざ自分で怒りを再現しているからです。
でも、その時の怒りは、リアルな感情じゃなくて、人工的な『なりすまし』の怒りなんです。
幻の怒りを手放せば、人はしあわせになれます。
般若心経の『色即是空・空即是色』という言葉は、そういう意味にも通じると思います。
ところでふぐじろう先生、暑いから、そろそろこの服脱がせて~。
つづく
その分、家で夫とのケンカが絶えません。
もっと外でも怒りを発散した方がいいんでしょうか?
女ドラゴン怒りの鉄拳」
「この相談には、二つの問題が含まれているよね。
一つ目は、人間関係の間合いの取り方について。
二つ目は、怒りの感情をどう扱うか?」
「まず、人間関係について言えば、嫌いな人と我慢してつき合う必要なんか、全然ない。
古久澤先生もよくおっしゃっているけれど、
『嫌いな人も受け入れて、仲良くすることが、ブリージングの教えだ』
と勝手に思い込んでいる人が、意外と多い。
だから、相談者さんのように無理して嫌いな人とつき合ったりする人も出てくる。
あるいは、万人と仲良く出来ない自分を責める」
「でも、ブリージングでは、そんなことは全然薦めていないもんね。
『しあわせを引き寄せるカラダ』=しあわせ本の103ページには、
『あなたは嫌いなことをするために生まれてきたのですか?』
って書いてあるもん。
嫌々仕事をやっている人は、呼吸が弱まって、氣も出なくなっちゃう。
人間関係だって同じだよ」
「しあわせ本の、92ページには、『類は友を呼ぶ』=呼吸の質・強弱の合う者同士でひきつけあう ことが書かれている。
つまり、嫌なヤツとウマが合う人は、その人も嫌なヤツなのである」
「だったら、嫌なヤツからは嫌われて、縁遠くなった方がいいもんね。
おまわりさんが好きな泥棒は居ないもんね。泥棒は泥棒同士でつるむのが自然だよ」
「相手の人柄が良くても、仕事の上での考え方・価値観が違ったりすると、一緒にビジネスをやるのは難しい。
儲け第一主義の人と、世のために役立つビジネスがしたいと願う人とでは、やがて袂を分かつ可能性が大だから、最初から組まない方が無難」
「そうやって縁を切ったところで、自分の呼吸にふさわしい人が必ず現れるから、心配する必要はないしね。
般若心経で言う『不増不減(ふぞうふげん)』だよ。
一生の間に、本当に親しくつき合える人間の数は、せいぜい十数名。
その中に、わざわざ嫌いな人を入れる必要は無いもんね」
「職場の人間関係でも、仕事に支障をきたさない限りの、最低限度のコミュニケーションだけを取って、それ以上は関わらなければいい。
耐えがたいほど嫌いな人が居るなら、配置転換を願うもよし。
あるいは仕事を変える」
「『収入が減るから、簡単に仕事を変えられない』って言うかも知れないけど、嫌な人間関係を我慢していると、ガンなどの難病になりかねないもんね。
しあわせ本の170~171ページにも、『ガンは我慢強い人がなりやすい』って書いてあるし。
お金より、健康・命の方が大事だよ。
でもさ~、その一方でしあわせ本には、『自分を許し、他人を許し、すべてを受け入れる』ことが大事だって書いてあるじゃん?=188ページ。
確かにその部分だけ読んだら、『嫌いな人とも我慢して仲良くしなさい』って誤読するかもよ?」
「『許す』と言うのは、『仲違いした相手と、関係を修復しろ』という意味ではない。
起きてしまった過去のことは、もうどうしようもないことなんだ・終わったことなんだと『受け入れて』、恨みを捨てろ と言うこと。
自分が恨んでいると、相手の心も鏡のように反応して、いつまでもお互いの運命が引っ掛かり、邪魔し合い続ける」
「仲良くする、修復するどころか、感情・氣のレベルでも完全に縁を切っちゃえってことか。
親切とは、『親しさを切る』って書くもんね。
切ることが、ある時は人間関係の適切な間合いの取り方になるんだね。
でも、切っちゃいけない人間関係もあるんじゃない?身内や夫婦とか。
相談者さんも、夫婦げんかばっかりで、旦那さんとの縁が切れちゃ拙いよ」
「もちろん、肉親や身内との関係は、極力切らない方がいい。
夫婦も離婚してもOKだけど、添い遂げられるものなら、最後までやり遂げた方がよい。
相談者さんの夫婦喧嘩についての対策は、また後で触れよう。
まあ、人間関係の間合いについては、こんなところ」
古久澤先生のメルマガとブログには、人間関係にも活用できる知恵がいっぱい。
「呼吸で人生をストレッチする!」
「夢をかなえる心のストレッチ」
ブログ「青い空と碧い海」
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のメルマガとブログはこちらです。
メルマガ「小顔なんて簡単!」
ブログ「ふぐじろうのブリージングストレッチ日記」
「じゃあ次は怒りの取り扱いについてだね。
カラダのレベルで言えば、怒りを司どるのは肝臓。だから肝臓を整えることが基本だよね」
「肝臓を整える体操・食事法については、前回=3月15日の記事で詳しく紹介したので、そちらを参考にしてほしい。
しあわせ本の130ページにも書いてあるように、相手に怒りや恐れなどのマイナス感情を抱くのは、相手よりも自分の呼吸が浅いから。
だから、呼吸の器である身体を、胸郭を中心にストレッチして行けば、無駄な怒りを感じることも減っていく。
お経も呼吸法になるから、ブリージングでは般若心経の読経を薦めている」
「お坊さんは、読経のスペシャリストだから、怒りを持つことなんてないのかな?」
「もちろん、怒るときは怒る。
しかし、修行を積んでいるお坊さんほど、怒りに振り回されたり、引きずられることが減るらしい」
「凡人はいつまでも引きずっちゃうもんね」
「ある偉いお坊さんが、道ですれ違った美しい女性を見て『ああ、美しい人だ』と呟いた。
その呟きを耳にした弟子が、お寺に戻ってから、
『お師匠様のように長年修行しても、色欲は消えないのでしょうか?』
と質問した」
「師匠は何て答えたの?」
「弟子の顔を不思議そうに眺めて、
『ワシは確かにその女性の美しさを愛でたが、それっきりで頭から消え、お前に言われるまで忘れていた。
お前はずっとその女性のことを考えていたのか?お前の方がよほど色に捉われているではないか』
と答えた」
「つまり、そのお坊さんは、色欲・異性に『こだわっていない、とらわれない』ってことか。怒りも同じだね」
「最近、『怒ってはいけない』という類の本がいっぱい出ている。
しかし、怒りという感情も必要だから、人間に与えらえている」
「人間関係だって、『こいつは何をしても怒らない、刃向ってこないだろう』と思ったら、すごくバカにした態度に出る人も残念ながら居るもんね。
ジャイアン・スネ夫と、のび太の関係みたいなもんだよ。
のび太はドラえもんの力を借りて、怒りを解放するもんね。
いつも調子に乗ってやり過ぎて、のび太は最後にひどい目に会うけどね(笑)。
10の怒りで済むところに、100の怒りをぶつけると、我が身を滅ぼすって教えだよ」
「だから相談者さんも、やたらと怒りを解放すれば良いというものではない。
それが許されるのは子どもだけ」
「怒りを口にすることで、余計負の記憶が上書きされていく面もあるしね。
自分の言葉を一番身近で聴いているのは、自分の脳だから」
「確かに怒りが持つエネルギーはすさまじい。窮鼠(きゅうそ)猫を噛むじゃないけど、身を捨てて向かってくる相手には、強者も思わぬ不覚を取る。
歴史の例で言えば、当時、日本最強の権力者だった織田信長も、明智光秀の謀反であっさり殺されてしまった。
信長はやたらと光秀をいじめ、暗殺を決意させるところまで追いつめてしまった」
「でも、光秀は秀吉に負けて、三日天下で終わっちゃうもんね。
結果から言えば、秀吉に天下を取らせるために謀反を起こしたみたいなものだよ。
やっぱり短氣は損氣だよね」
「刹那的な強さは、その一瞬だけ。宮本武蔵も、
『ただ死ぬ(氣になる)だけなら、誰でも出来る。
それに加えて、確実に勝てる技と知恵を身に着けていてこそ、武士(武術家)だ』
と書き残している。
人間は、身体を整えるだけじゃなくて、先を見通す知恵を身に着けることも大切」
「賢い人は、怒りのエネルギーを別な形に転化するもんね。
発奮して仕事や趣味にぶつけたりとか。それでひとかどの結果を出す人もいるし」
「公憤(こうふん)=自分のためでなく、世のため人のために怒る という感情も、怒りのエネルギーが昇華されたもの」
「桃太郎が、鬼退治を決意するようなものだね。
でも、『自分は世のため、人のために怒っているんだ』って言いながら、本当は自分の個人的感情・うっぷんを晴らすために怒っている人もいるから、しっかり見極めなきゃね(笑)」
「まあ自覚的に公憤を装っている人は、意外と人の迷惑にならない。見苦しくてウザイだけ(笑)。
私憤で怒っているくせに、『自分は公憤の人だ』と信じ込んでいるタイプは厄介。
正義の味方きどりなので、絶対に反省しないし、限度と言うものを知らない」
「まるで、どこかの国みたいだね(笑)」
「確かに、『物言わぬは、腹ふくるるわざ』=言いたいことを腹に貯めておくと、ストレスになる だから、何等かの形で吐きだせる場を持つことは、ある意味必要。
飲み屋が絶対に無くならないのは、愚痴の吐き出し場所になっているから」
「『王様の耳はロバの耳』の童話もそうかもね。ある国の王様は、ロバの耳が生えていた。
それを知った床屋は、秘密を誰かに話したくてたまらない。
そこで野原に開いた大穴に向かって『王様の耳はロバの耳!』って叫ぶんだよね。床屋はスッキリ。
ところが、その声が風に乗って国中に広まっちゃたという(笑)。
吉本ギャグじゃないけど、『ここだけの話だからな!』は、ここだけで終わらないもんね。隠すより現るるなし。
そして情報は風がもたらすということ=風説・風評」
「心身統一合氣道の創始者・藤平光一先生は、
『臍下(せいか)の一点が出来れば、マイナスの想いはみんなそこに放り込める。だからいつも氣分爽快でいられる」
と教えていた。
臍下の一点とは、下丹田、肚と同じような意味。臍下の一点や丹田は、天地とも通じているので、捨てたものは全てアースされてしまう。
自分の内部にストレスを捨てられる場を持つ人は強い」
「相談者さんは、自分の怒りを捨てる場所・穴として、旦那さんを使っているんだね。
穴替わりにされちゃ、旦那さんもたまらんから、夫婦喧嘩になっちゃうよね。
相手は自分の鏡だもん。発した通りのものが返ってきちゃう」
「ここで、古代ローマの話が参考になる。古代ローマも日本と同じく多神教の国だった。
色んな役割を持つ神様がおり、なんと、夫婦喧嘩担当の神様までいたのである」
「夫婦喧嘩を仲裁してくれる神様なの?」
「いかにも。
夫婦喧嘩に限らず、ケンカはお互いに向かい合って=対立して、相手をねじふせようとする。
お互いに感情的になって、どんどん争いはエスカレートする。
取り返しがつかないほど関係が悪化する前に、神様が鎮座する祠(ほこら)に夫婦連れだって出かける。
夫婦は交互に祠に向かって、相手の否を訴える」
「それで解決するの?」
「まず、夫婦が並んで、同じ方向=祠の方向に視線を向けることがミソ。
実は古久澤先生も、ケンカの仲裁が得意だという。特に若いころは、血氣にはやる仲間のケンカをよく収めたとのお話。
ケンカの仲裁にはコツがあって、今にも殴りかからんばかりの相手の手をつかんで『まあ待て』と抑える。
しかし、決してこのとき、相手の正面に立ちはだかってはいけないという」
「相手は頭に血が昇っているから、余計興奮して、仲裁者にまで手を出すかも知れないもんね」
「だから相手の横に立って、手首をつかんで抑える。
すると同じ方向を向くから、相手は身体のレベルで、『この人は味方だ』と感じるので、説得を受け入れる体勢が出来る」
「つまり、ポジショニングが大事ってことだね。
整体の技をかける時や、組手=二人組の体操を上手に行うためにも、通じる教えだよ」
「神様の祠に並んで向き合う夫婦は、視線も氣の方向も、同じ方向を向いているので、それだけで同調し始めている。
更に、一方が相手の否を神様に向かって訴えている間、もう一方は口を挟んで遮ってはいけないと言うルールがある。
だから妻は夫の否を訴えることを、心行くまで出来る。
人が怒っているとき、相手を非難しているときは、息を吐き出して楽になりたいから。
夫が妨害されることなく、妻は吐きたいだけ息を吐ける。
合氣道の極意は、向かってくる相手に立ち向かうのではなく、『相手が行きたい方向に行ききらせてやる』よう誘導することだという。
しまいに相手は、自分の勢いで勝手に倒れてしまう。これと似ている」
「そして、相手の話を効くのは、息を吸うことだもんね。
夫は妻が息を吐ききるまで(吐くことを意識して呼吸する)、息を吸っているわけか(吸うことを意識して呼吸する)」
「次に夫が妻の否を訴える番になると、妻は黙って聞いていなければいけない。
つまり、夫が息を吐いて、妻が息を吸う」
「これを何回か繰り返すうちに、だんだん呼吸のリズムが合ってくると言う訳だね。
息が合ってきたら、自然に和解しちゃうもん」
「ケンカ相手に発する言葉は、感情的にわめき散らしているだけ。
しかし、神様と言えども、第三者に通じるように訴えるには、客観的に整理して話さなければいけない」
「それだけで、すでに冷静になり始めているもんね」
「妻の訴えを聴いているうちに、『確かに妻の言い分にも一理ある』と夫が思うこともあったであろう。
自分に直接言われたら、感情的に反発するようなことでも、神様=自分たちより遥かに偉い第三者 に話しているんだと思えば、聴きやすい。
同じように、夫の訴えを聴いた妻が、『私の方にも反省すべき点があった』と感じることもあったに違いない」
「人間関係は、『私』と『あなた』と、『私とあなたとの<関係性>』=つながり から出来ているもんね。
これが三の法則。
『神様』に<関係性>の位置に入ってもらうことによって、相手を自分の鏡として観れるようになり、自分たちが置かれた状況を大きな目で眺めることも出来るようになっちゃう」
「かくして、すっかり和解した夫と妻が、手に手を取って仲良く帰ることも、結構あったらしい。
相手は同じ人間なんだけど、自分の観方・感じ方が変わることによって、関係性が修復された=ストレッチされたということ」
「しあわせ本の、114~115ページに、『相手は自分の鏡だから、自分が変わらないと相手も変わらない』って書かれているとおりだね。
アタシたちは、昔の人は無知だったと思い込み勝ちだけど、古代ローマの夫婦喧嘩の神様の知恵は、優雅で洒落てるじゃん。
相談者さんも、古代ローマ人をマネして、家に夫婦喧嘩の神様を迎える神棚をつくって、旦那さんと一緒に使ってみると、無用な夫婦喧嘩も減るかも(笑)」
「確かに現代人は、昔の人に比べて、遥かに多くの科学的知識や情報を持っている。
しかし、せっかくの情報を、本当に自分のしあわせに結び付けられているかは疑問。
少なからぬ人が、大量の情報に振り回され、自分の感情に振り回され、自らしあわせから遠ざかっている。
もちろん、情報の罪ではないけれど」
「つまり、『もとはこちら』だから、まず身体から自分を整えなきゃね」
(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

写真は、『クマのプーさん』になりすましたボクです。
なりすまし詐欺が、社会問題になっていますが、実は人の感情も『なりすまし』が多いんです。
何年も前の出来事について、ずっと怒り続けるなんて、本当は人間には出来ません。
いつまでも引きずっているのは、思い出すたびに、わざわざ自分で怒りを再現しているからです。
でも、その時の怒りは、リアルな感情じゃなくて、人工的な『なりすまし』の怒りなんです。
幻の怒りを手放せば、人はしあわせになれます。
般若心経の『色即是空・空即是色』という言葉は、そういう意味にも通じると思います。
ところでふぐじろう先生、暑いから、そろそろこの服脱がせて~。
つづく
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