「桃太郎」に学べば、人間関係の達人になれる
- 2015/03/01
- 08:00
「公私ともに、人間関係で悩んでいます。
ブリージングでは、昔話の『桃太郎』に学べば、人間関係も上手く行くと教えているそうですが、そこを詳しく教えてください。
ぼく、桃太郎の何なのさ?」
「古久澤先生の著書『しあわせを引き寄せるカラダ(以下「しあわせ本」)』の、『おわりに』にも、桃太郎について書かれているよね。
桃太郎を理解すれば、人生万事うまく行く って。」
「前回紹介したように、『しあわせ本』の『はじめに』には、自分の問題=病氣・悩み・不運からの脱出法 について書かれていた。
『おわりに』では、その裏返しになる形で、人生と人間関係への応用が説かれている。
では早速、桃太郎のストーリーをたどってみよう」
「桃太郎は、おじいさん=男性・陽性が、山へ芝刈りに、おばあさん=女性・陰性が、川へ洗濯に出かけるところから始まるよね。
山は地の氣=エネルギーが盛り上がってできているし、不動だから、やっぱり陽性。
それに対して、川は水(陰性)が、次から次へと流れ去っていくから陰性」
「そのとおり。自然は陰陽の相反するエネルギーで構成されているということ。
エネルギーが中心に集まってくるのが陽で、周囲に拡散して行くのが陰。
陰陽は、人間の生き方にも反映されている。おじいさんが陽の山へ出かけて行くのは、『父は、山のごとく動じるな。背中で子どもに生き方を示せ』と言う教え。『易経』では山は背中を意味する。
そして、『母は流れる川のごとく、柔らかく、しなやかに父を支えよ』とも諭している。
『古いよ!』と野次が飛ぶかも知れないけど、男女・父母の役割分担は、やっぱり違う」
「洗濯しているおばあさんの所へ、川上から桃がドンブラコと流れてきちゃう。
家に持って帰ったら、桃が割れて、桃太郎が生まれてくるんだよね」
「言うまでもなく、桃は女性のお尻=子宮の象徴。つまり、桃太郎は一種の性教育になっている。
そして、桃は邪氣を祓う霊力を持った果物。
桃から生まれた桃太郎が、やがて鬼退治の旅に出ることは、最初から宿命づけられていたと言えよう」
「子どもが居ない、おじいさんとおばあさんは、『天からの授かりものだ』と喜び、桃太郎を大事に育てるんだよね。
でも、素朴に考えると、何で若夫婦じゃなくて、おじいさん・おばあさんなんだろう?」
「昔から、子どもを育てたのは、おじいさん・おばあさんだったから。
父母は、生活の糧を得るための労働に忙しく、幼児のスキンシップは、祖父母が担当した。
チンパンも、おばあちゃんっ子だった」
「確かに子どもは、超スローペースだもんね。同じ遊びでも、何十回と飽きずに繰り返すし。
若い親だったら、イライラして付き合いきれないよ。
お年寄りも、スローペースな人が多いから、子どもと呼吸が合うってことか。
そう考えると、昔話に老人が子どもを育てる話が多いのも納得だね。かぐや姫もそうだし」
「孫を寝かしつけながら、昔話をするのが、日本の情操教育の伝統だった。
寝入りばなに繰り返し聴かされるから、子どもの潜在意識に入って行った」
「昔話には、人間としての望ましい生き方を説いた話が多いもんね」
「いまは核家族化が進行して、だいぶ子育て事情も変わってきた。
しかし、いつの時代でも、人間最初は誰でも無力な赤ん坊・幼児だったことは変わらない。
それなのに、死なずに成長できたのは、周りの人たちが無償で大切に守ってくれたから。
その人たちは、何の見返りも求めずに、幼い自分を愛してくれた。
『ありふれた人間関係のトラブルで、すぐ悩むのは、その人たちのことを全部忘れてしまっているからだ。
自分ひとりで生きてこれたような頭でいるから=傲慢』
と、古久澤先生はおっしゃっている。
チンパンもよく忘れているけど(笑)。
まず、ここが相談者さんへの回答の原点」
古久澤先生のメルマガとブログに学んで、人間関係の達人を目指そう。
「呼吸で人生をストレッチする!」
「夢をかなえる心のストレッチ」
ブログ「青い空と碧い海」
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のメルマガとブログはこちらです。
メルマガ「小顔なんて簡単!」
ブログ「ふぐじろうのブリージングストレッチ日記」
ブリージング指導員・鷲沢(わしざわ)先生主催の、『ひまわりストレッチ』では、基本のストレッチ=クリーニング体操を丁寧に勉強します。
会場:竹ノ塚地域学習センター(足立区竹の塚2-25-17)。
次回は平成27年3月8日(日)の午前10時半~12時に教室が開催されます。
問い合わせ先メルアドはこちらです。
himawari.stretch@gmail.com
チンパンもお手伝いとして参加しております。
ぜひ、足立区でお会いしましょう~。
「たくましく成長した桃太郎は、鬼退治を決意。
おばあさんは、キビ団子をつくって、桃太郎を送り出してくれるんだよね」
「ここでキビ団子=黍(きび)団子であることがポイント。植物=穀物の力こそが人間を支えてくれると言う暗喩。
あれが、もし肉団子だったら、鬼に負けていたであろう。
明治初期の日本に来た西洋人が、雇った日本人の体力に驚嘆した。
『彼らは穀物と野菜だけの粗食なのに、こんなにタフである。
肉を食べさせたら、更に働くだろう』
と考えて、三食ビフテキを食べさせた。すると、日本人はすぐバテるようになってしまい、
『こんな食事じゃ、力が出ません』
と訴えたとのこと」
「肉=動物性タンパク質は、体格を立派にしてくれるけど、体質を良くするのは、植物性のタンパク質だもんね。
やがて鬼が島へ向かう途中で、桃太郎は、犬・猿・キジに出会い、みんなキビ団子をもらって、仲間になるんだよね」
「ここで重要なのは、キビ団子=利益と引き換えに仲間になったんじゃないということ。
犬たちは、桃太郎の鬼退治=平和への志に共鳴して、行動を共にすることを決めた」
「ビジネスでも、お金だけをエサにして人を集めると、『金の切れ目が縁の切れ目』で、すぐに離れて行っちゃうもんね」
「ある健康教室の先生が、難病になったとたんに、多くの弟子がやめた。
やめるだけではなく、『あの先生の教えはインチキだ』と、悪口を言いふらす者も居たという。
その先生の嘆きを聴いた平井謙次という人は(沖ヨガの沖正弘先生の弟子)、
『やめた生徒たちは、最初からあなたの弟子じゃなかったんですよ。
そして、あなたも彼らの師ではなかった。
健康情報・メソッドを、お金をもらって、切り売りするだけの関係に過ぎなかったんです。
だから、粗悪品をつかまされたと思った生徒たちがやめて、悪口を言いふらすのは当然のことでしょう』
と答えた」
「『もとはこちら』=自業自得ってことでしょ?表現は柔らかいけど、厳しい教えだよね」
「NHKの大河ドラマで取り上げられている、吉田松陰も、
『みだりに人の師になるべからず。またみだりに人を師とすべからず。
必ず真に教うべきことありて師となり、また真に教わることありで弟子となるべし』
と言っている。
ここまで極端じゃなくても、健康教室では、こういう問題はしょっちゅう起きる。
『肩こりや腰痛が楽になります』『痩せます』など、効用を売りにしたクラスをつくると、確かに人が集まりやすい面がある。
しかし、そういう効用だけで来た生徒は、症状が消えたり、ダイエットに成功すると、当然やめてしまう。
期待したほどの効果が無い場合も、辞めて行く」
「効用・条件=色(しき)ばっかりで人を集めようとすると、一見集めやすそうだけど、教室の経営が安定しないってことか。
どんなビジネスにも共通することかもね」
「だからブリージングでは、ただの症状消し・マッサージにとどまらず、
『自分で自分の健康を守れるようになろう。
身体が本当に良くなれば、心の悩みも消えるし、自分の真の能力も発揮できるようになる。運もよくなる』
と呼びかけている」
「つまり『しあわせを引き寄せるカラダ』=スーパーボディを創ろうってことだね。
ただの症状消しや、ダイエットよりも、ずっと空(くう)=抽象度の高い目標を掲げているよね。
『しあわせを引き寄せるカラダ』って、いまここにあるものじゃないもん」
「更に、
『自分ひとりがしあわせになるだけではなく、自分の大切な人の健康も守れるようにしよう。
やがては、自分の周囲に健康・しあわせの輪を広げて行こう』
ということさえ、射程に入れている。
これが志(こころざし)というもの。自分のことばっかりじゃなくて、他人・世界をよくすることまでを含んでいる。
商売で言えば、『我よし、お客よし、世間よし』の三方得」
「桃太郎も、私利私欲で鬼退治を志したんじゃなくて、鬼の悪さに苦しむ人々を救うために立ち上がったんだもんね。
そうは言いながらも、桃太郎は犬たちにキビ団子をあげているよね。
感謝の氣持ちは、やっぱり形=色にした方が伝わりやすいし。
そして『人をタダで使っちゃいかん』って教えだよね」
「正解。たとえば世の中には『相談』と称して、延々と自分勝手な愚痴をこぼし、他人の時間を奪う<時間泥棒>が居る」
「みんな時間は有限なのにね。
自分は困っているんだから、人はタダで時間と知恵を提供してくれて、当たり前だって料簡なのかな?
だから、アンタ上手く行かないんだよ!って言ってあげたいよね(笑)」
「そして、立派なスローガン・志=空だけでも、人はついて来ないと言う解釈も出来る。
健康教室で、ありがたい精神論ばっかり聞かされても、全然不調が消えなかったら、すぐに生徒は来なくなる。
色のレベルの満足=痛みが消えた、痩せた なども、確実に提供して行くことは当然。
だから指導者は、実技の研鑽も怠ってはならない」
「どんなビジネスでも、空と色をどう調和させて行くか?が経営のポイントってわけか」
「桃太郎と犬たちが、共にキビ団子を食べるのは、『同じ釜の飯を食う』=呼吸を合わせるという意味もあると思う。
固めの杯じゃないけど、桃太郎と犬たちは、氣のレベルで結ばれたのである。
キビ団子は『氣備団子』=氣が備わる団子とも読めるのは、意味深。
まあ、ここはチンパンの解釈だけど」
「鬼が島についた桃太郎たちは、それぞれの個性を発揮して、鬼と戦うよね。
キジは空を飛んで偵察し、猿は鬼の館の壁をよじ登って、内側から門を開けるって具合。
突入した犬は、鬼に噛みついて追い回すし、桃太郎は鬼を千切っては投げの大活躍。
鬼たちは、たまらず降参しちゃう。
チームワークが勝利の秘訣だよね。
桃太郎は腕っぷしは強いけど、駆けっこなら犬の方が速いだろうし、木登りじゃ猿に負けるだろうし、キジみたいに飛べないし(笑)。
自分の不得意な分野は、人に補ってもらえばいいもんね」
「ビジネスに置き換えれば、桃太郎は経営者。リーダーシップとビジョンを持って、部下を引っ張る。
忠実な犬は事務屋。知恵に富んだ猿は営業マン。空を飛んで遠くを見渡すキジは、先見の明ある技術者。
この四者が、しっかりタッグを組まないと、ビジネスは上手く回らない」
「組手(くみて)=二人組の体操は、まさしくこの協力関係を体得するためにあるもんね。
受け手と補助者が、組手の目的とお互いの役割を理解し、呼吸を合わせないと、上手く身体がほぐれないもんね。
自分勝手に動くのも、相手のペースに引きずられっぱなしもダメ」
「組手が本当に上手になれば、仕事は成功するし、どこへ行っても人と仲良くなれる と古久澤先生はおっしゃっている。
他人を邪魔することなく、自分の役目をしっかりと果たす振る舞いが出来るようになるから。
自立している人間同士が、協力し合うことが組手の本質」
「桃太郎の話で、一番大切なのは、退治した鬼たちが反省したら、許してあげていることだよね。
しあわせ本の『はじめに』と響きあう部分だよね」
「そのとおり。不運・不幸は、自分の心身が汚れているに過ぎない。
だからクリーニングすれば、『しあわせを引き寄せるカラダ』になれる=あなたは元々良き者なんだ と書いてある。
桃太郎が鬼を許したのも、他人も本当は良き者だと言う性善説に基づいている。
鬼は今、心身が穢れ(けがれ)ているから、悪さをしている。その穢れを祓う(はらう)のが退治。
祓われた鬼が改心すれば、許して受け入れようという発想。
日本武道も、相手の命を奪うのではなく、丸く収める境地を理想としている」
「しあわせ本の『おわりに』には、
『多くの人が、他人も自分も許せず、苦しんでいる。それが病氣の最大の原因になっている』
って意味のことが書かれているよね。
つまり、人間関係が病氣の最大の原因ってわけか。
実際に、人から裏切られたショックで、ガンとかを発病するケースもあるもんね」
「人を許せないのは、自分を許せないことの裏返し。
自分をいじめた相手を許せないのは、いじめられっぱなしだった、その時のみじめな自分を許せないから」
「でも、恨んでいる間は、自分じゃなくて、恨んでいる相手に引っ張られた人生になっているもんね。
自分の人生の主人公に、自分がなっていない状態が、不幸ってことだもん」
「しあわせ本の『はじめに』には、健康になるのも、しあわせになるのも、自分自身で決める・変えることなんだと強調されている。
他人をいつまでも許せないのは、自分の人生だという覚悟が足りないからとも言える」
「『あの会社に入ったばかりに、あんな嫌な上司に当たってしまった』
って愚痴る人がよくいるけれど、そもそもその会社を選んだのは、自分だもんね」
「しあわせ本の『おわりに』には、許せないことが、夢をかなえる最大のブレーキになるとも書かれている。
許せないということは、過去の負の体験をずっと引きずり続けているということ。
だから、新しい行動を起こそうとするときも、『あの時ダメだったから、今度も失敗するぞ』と潜在意識が足を引っ張ってくる。
その恐怖感を消すためだけに、エネルギーを使わなければいけない。これは大きなロス」
「手痛い失恋をした人が、次の恋に臆病になるようなものだね。
トラウマが多い人ほど、行動を起こす前に余分にエネルギーを持っていかれちゃう。
だから夢をかなえるのが遠ざかるってわけか。
さっさと水に流しちゃった方が得だよね。何も阻むものが無い人ほど、願いはスイスイかなっちゃうから。
でも、そうは言っても、なかなか水に流すのって難しいよ。
水に流せないのは、水を司る腎臓が弱いから?」
「確かに腎臓の影響も大きい。
すぐに人と争うタイプは肝臓が弱い。ずっと恨んでばかりいる人は、腎臓が弱い。
肝腎要(かんじんかなめ)の両方弱いと、しあわせから遠ざかる人生になりやすい」
「水に流すためには、水を活用することだよね。昔から禊(みそぎ)や滝行は、水の力で邪氣を切ったもんね。
半身浴は、プチ禊になるし、腎臓を温めて養生してくれるもんね」
「実は水に流す技が、しあわせ本でも再三にわたって紹介されているスワイショウ。
スワイショウは陰性で、水の技。
腕を振り続けていると、過去の負の体験が浮かんでは消えて行く。
スワイショウは一種の自己催眠。
他者催眠・誘導と違って、その時の自分に耐えきれないトラウマは表面化しない」
「むしろ、『もう大丈夫だろう』と、身体と潜在意識が判断したから、表面化してくれたんだもんね。
現れることで、過去の因縁は消えて行くもんね」
「チンパンも、スワイショウをやり続けることで、過去のトラウマが薄紙一枚ずつ剥がすように、薄らいでいくことを感じている。
完全に消え去る日は、まだまだ遠そうだけど」
「『自分を許し、他人を許し、すべてを受け入れる心の広い人間になることは、一生かけて取り組む価値がある』
って、しあわせ本の『おわりに』にも書いてあるもんね。
それが<徳>ってことかも?桃太郎は徳のお手本だね」
(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

写真は、お氣に入りのオモチャをくわえているボクです。
何だか、巻物をくわえたお稲荷さんみたいですね~(笑)。
キビ団子が食べたくなって、思わずオモチャにかぶりついてしまいました。
桃太郎が鬼が島から持ち帰った宝物と言えば、金銀とサンゴ。
金銀は分かりますが、なんでサンゴだと思います?
サンゴは表面にいっぱい穴が開いていて、海を浄化してくれる、ありがたい存在だからです。
炭も表面の穴から、邪氣を吸って浄化してくれます。
実は、身体の中の骨も、同じ役割を果たしています。
本当に桃太郎って深いですね~。
ふぐじろう先生、今夜は桃太郎の絵本を読んで~。
実は、今日はボク、2歳の誕生日なんです。
ふぐじろう先生、これからもよろしく~。
つづく
ブリージングでは、昔話の『桃太郎』に学べば、人間関係も上手く行くと教えているそうですが、そこを詳しく教えてください。
ぼく、桃太郎の何なのさ?」
「古久澤先生の著書『しあわせを引き寄せるカラダ(以下「しあわせ本」)』の、『おわりに』にも、桃太郎について書かれているよね。
桃太郎を理解すれば、人生万事うまく行く って。」
「前回紹介したように、『しあわせ本』の『はじめに』には、自分の問題=病氣・悩み・不運からの脱出法 について書かれていた。
『おわりに』では、その裏返しになる形で、人生と人間関係への応用が説かれている。
では早速、桃太郎のストーリーをたどってみよう」
「桃太郎は、おじいさん=男性・陽性が、山へ芝刈りに、おばあさん=女性・陰性が、川へ洗濯に出かけるところから始まるよね。
山は地の氣=エネルギーが盛り上がってできているし、不動だから、やっぱり陽性。
それに対して、川は水(陰性)が、次から次へと流れ去っていくから陰性」
「そのとおり。自然は陰陽の相反するエネルギーで構成されているということ。
エネルギーが中心に集まってくるのが陽で、周囲に拡散して行くのが陰。
陰陽は、人間の生き方にも反映されている。おじいさんが陽の山へ出かけて行くのは、『父は、山のごとく動じるな。背中で子どもに生き方を示せ』と言う教え。『易経』では山は背中を意味する。
そして、『母は流れる川のごとく、柔らかく、しなやかに父を支えよ』とも諭している。
『古いよ!』と野次が飛ぶかも知れないけど、男女・父母の役割分担は、やっぱり違う」
「洗濯しているおばあさんの所へ、川上から桃がドンブラコと流れてきちゃう。
家に持って帰ったら、桃が割れて、桃太郎が生まれてくるんだよね」
「言うまでもなく、桃は女性のお尻=子宮の象徴。つまり、桃太郎は一種の性教育になっている。
そして、桃は邪氣を祓う霊力を持った果物。
桃から生まれた桃太郎が、やがて鬼退治の旅に出ることは、最初から宿命づけられていたと言えよう」
「子どもが居ない、おじいさんとおばあさんは、『天からの授かりものだ』と喜び、桃太郎を大事に育てるんだよね。
でも、素朴に考えると、何で若夫婦じゃなくて、おじいさん・おばあさんなんだろう?」
「昔から、子どもを育てたのは、おじいさん・おばあさんだったから。
父母は、生活の糧を得るための労働に忙しく、幼児のスキンシップは、祖父母が担当した。
チンパンも、おばあちゃんっ子だった」
「確かに子どもは、超スローペースだもんね。同じ遊びでも、何十回と飽きずに繰り返すし。
若い親だったら、イライラして付き合いきれないよ。
お年寄りも、スローペースな人が多いから、子どもと呼吸が合うってことか。
そう考えると、昔話に老人が子どもを育てる話が多いのも納得だね。かぐや姫もそうだし」
「孫を寝かしつけながら、昔話をするのが、日本の情操教育の伝統だった。
寝入りばなに繰り返し聴かされるから、子どもの潜在意識に入って行った」
「昔話には、人間としての望ましい生き方を説いた話が多いもんね」
「いまは核家族化が進行して、だいぶ子育て事情も変わってきた。
しかし、いつの時代でも、人間最初は誰でも無力な赤ん坊・幼児だったことは変わらない。
それなのに、死なずに成長できたのは、周りの人たちが無償で大切に守ってくれたから。
その人たちは、何の見返りも求めずに、幼い自分を愛してくれた。
『ありふれた人間関係のトラブルで、すぐ悩むのは、その人たちのことを全部忘れてしまっているからだ。
自分ひとりで生きてこれたような頭でいるから=傲慢』
と、古久澤先生はおっしゃっている。
チンパンもよく忘れているけど(笑)。
まず、ここが相談者さんへの回答の原点」
古久澤先生のメルマガとブログに学んで、人間関係の達人を目指そう。
「呼吸で人生をストレッチする!」
「夢をかなえる心のストレッチ」
ブログ「青い空と碧い海」
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ブログ「ふぐじろうのブリージングストレッチ日記」
ブリージング指導員・鷲沢(わしざわ)先生主催の、『ひまわりストレッチ』では、基本のストレッチ=クリーニング体操を丁寧に勉強します。
会場:竹ノ塚地域学習センター(足立区竹の塚2-25-17)。
次回は平成27年3月8日(日)の午前10時半~12時に教室が開催されます。
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himawari.stretch@gmail.com
チンパンもお手伝いとして参加しております。
ぜひ、足立区でお会いしましょう~。
「たくましく成長した桃太郎は、鬼退治を決意。
おばあさんは、キビ団子をつくって、桃太郎を送り出してくれるんだよね」
「ここでキビ団子=黍(きび)団子であることがポイント。植物=穀物の力こそが人間を支えてくれると言う暗喩。
あれが、もし肉団子だったら、鬼に負けていたであろう。
明治初期の日本に来た西洋人が、雇った日本人の体力に驚嘆した。
『彼らは穀物と野菜だけの粗食なのに、こんなにタフである。
肉を食べさせたら、更に働くだろう』
と考えて、三食ビフテキを食べさせた。すると、日本人はすぐバテるようになってしまい、
『こんな食事じゃ、力が出ません』
と訴えたとのこと」
「肉=動物性タンパク質は、体格を立派にしてくれるけど、体質を良くするのは、植物性のタンパク質だもんね。
やがて鬼が島へ向かう途中で、桃太郎は、犬・猿・キジに出会い、みんなキビ団子をもらって、仲間になるんだよね」
「ここで重要なのは、キビ団子=利益と引き換えに仲間になったんじゃないということ。
犬たちは、桃太郎の鬼退治=平和への志に共鳴して、行動を共にすることを決めた」
「ビジネスでも、お金だけをエサにして人を集めると、『金の切れ目が縁の切れ目』で、すぐに離れて行っちゃうもんね」
「ある健康教室の先生が、難病になったとたんに、多くの弟子がやめた。
やめるだけではなく、『あの先生の教えはインチキだ』と、悪口を言いふらす者も居たという。
その先生の嘆きを聴いた平井謙次という人は(沖ヨガの沖正弘先生の弟子)、
『やめた生徒たちは、最初からあなたの弟子じゃなかったんですよ。
そして、あなたも彼らの師ではなかった。
健康情報・メソッドを、お金をもらって、切り売りするだけの関係に過ぎなかったんです。
だから、粗悪品をつかまされたと思った生徒たちがやめて、悪口を言いふらすのは当然のことでしょう』
と答えた」
「『もとはこちら』=自業自得ってことでしょ?表現は柔らかいけど、厳しい教えだよね」
「NHKの大河ドラマで取り上げられている、吉田松陰も、
『みだりに人の師になるべからず。またみだりに人を師とすべからず。
必ず真に教うべきことありて師となり、また真に教わることありで弟子となるべし』
と言っている。
ここまで極端じゃなくても、健康教室では、こういう問題はしょっちゅう起きる。
『肩こりや腰痛が楽になります』『痩せます』など、効用を売りにしたクラスをつくると、確かに人が集まりやすい面がある。
しかし、そういう効用だけで来た生徒は、症状が消えたり、ダイエットに成功すると、当然やめてしまう。
期待したほどの効果が無い場合も、辞めて行く」
「効用・条件=色(しき)ばっかりで人を集めようとすると、一見集めやすそうだけど、教室の経営が安定しないってことか。
どんなビジネスにも共通することかもね」
「だからブリージングでは、ただの症状消し・マッサージにとどまらず、
『自分で自分の健康を守れるようになろう。
身体が本当に良くなれば、心の悩みも消えるし、自分の真の能力も発揮できるようになる。運もよくなる』
と呼びかけている」
「つまり『しあわせを引き寄せるカラダ』=スーパーボディを創ろうってことだね。
ただの症状消しや、ダイエットよりも、ずっと空(くう)=抽象度の高い目標を掲げているよね。
『しあわせを引き寄せるカラダ』って、いまここにあるものじゃないもん」
「更に、
『自分ひとりがしあわせになるだけではなく、自分の大切な人の健康も守れるようにしよう。
やがては、自分の周囲に健康・しあわせの輪を広げて行こう』
ということさえ、射程に入れている。
これが志(こころざし)というもの。自分のことばっかりじゃなくて、他人・世界をよくすることまでを含んでいる。
商売で言えば、『我よし、お客よし、世間よし』の三方得」
「桃太郎も、私利私欲で鬼退治を志したんじゃなくて、鬼の悪さに苦しむ人々を救うために立ち上がったんだもんね。
そうは言いながらも、桃太郎は犬たちにキビ団子をあげているよね。
感謝の氣持ちは、やっぱり形=色にした方が伝わりやすいし。
そして『人をタダで使っちゃいかん』って教えだよね」
「正解。たとえば世の中には『相談』と称して、延々と自分勝手な愚痴をこぼし、他人の時間を奪う<時間泥棒>が居る」
「みんな時間は有限なのにね。
自分は困っているんだから、人はタダで時間と知恵を提供してくれて、当たり前だって料簡なのかな?
だから、アンタ上手く行かないんだよ!って言ってあげたいよね(笑)」
「そして、立派なスローガン・志=空だけでも、人はついて来ないと言う解釈も出来る。
健康教室で、ありがたい精神論ばっかり聞かされても、全然不調が消えなかったら、すぐに生徒は来なくなる。
色のレベルの満足=痛みが消えた、痩せた なども、確実に提供して行くことは当然。
だから指導者は、実技の研鑽も怠ってはならない」
「どんなビジネスでも、空と色をどう調和させて行くか?が経営のポイントってわけか」
「桃太郎と犬たちが、共にキビ団子を食べるのは、『同じ釜の飯を食う』=呼吸を合わせるという意味もあると思う。
固めの杯じゃないけど、桃太郎と犬たちは、氣のレベルで結ばれたのである。
キビ団子は『氣備団子』=氣が備わる団子とも読めるのは、意味深。
まあ、ここはチンパンの解釈だけど」
「鬼が島についた桃太郎たちは、それぞれの個性を発揮して、鬼と戦うよね。
キジは空を飛んで偵察し、猿は鬼の館の壁をよじ登って、内側から門を開けるって具合。
突入した犬は、鬼に噛みついて追い回すし、桃太郎は鬼を千切っては投げの大活躍。
鬼たちは、たまらず降参しちゃう。
チームワークが勝利の秘訣だよね。
桃太郎は腕っぷしは強いけど、駆けっこなら犬の方が速いだろうし、木登りじゃ猿に負けるだろうし、キジみたいに飛べないし(笑)。
自分の不得意な分野は、人に補ってもらえばいいもんね」
「ビジネスに置き換えれば、桃太郎は経営者。リーダーシップとビジョンを持って、部下を引っ張る。
忠実な犬は事務屋。知恵に富んだ猿は営業マン。空を飛んで遠くを見渡すキジは、先見の明ある技術者。
この四者が、しっかりタッグを組まないと、ビジネスは上手く回らない」
「組手(くみて)=二人組の体操は、まさしくこの協力関係を体得するためにあるもんね。
受け手と補助者が、組手の目的とお互いの役割を理解し、呼吸を合わせないと、上手く身体がほぐれないもんね。
自分勝手に動くのも、相手のペースに引きずられっぱなしもダメ」
「組手が本当に上手になれば、仕事は成功するし、どこへ行っても人と仲良くなれる と古久澤先生はおっしゃっている。
他人を邪魔することなく、自分の役目をしっかりと果たす振る舞いが出来るようになるから。
自立している人間同士が、協力し合うことが組手の本質」
「桃太郎の話で、一番大切なのは、退治した鬼たちが反省したら、許してあげていることだよね。
しあわせ本の『はじめに』と響きあう部分だよね」
「そのとおり。不運・不幸は、自分の心身が汚れているに過ぎない。
だからクリーニングすれば、『しあわせを引き寄せるカラダ』になれる=あなたは元々良き者なんだ と書いてある。
桃太郎が鬼を許したのも、他人も本当は良き者だと言う性善説に基づいている。
鬼は今、心身が穢れ(けがれ)ているから、悪さをしている。その穢れを祓う(はらう)のが退治。
祓われた鬼が改心すれば、許して受け入れようという発想。
日本武道も、相手の命を奪うのではなく、丸く収める境地を理想としている」
「しあわせ本の『おわりに』には、
『多くの人が、他人も自分も許せず、苦しんでいる。それが病氣の最大の原因になっている』
って意味のことが書かれているよね。
つまり、人間関係が病氣の最大の原因ってわけか。
実際に、人から裏切られたショックで、ガンとかを発病するケースもあるもんね」
「人を許せないのは、自分を許せないことの裏返し。
自分をいじめた相手を許せないのは、いじめられっぱなしだった、その時のみじめな自分を許せないから」
「でも、恨んでいる間は、自分じゃなくて、恨んでいる相手に引っ張られた人生になっているもんね。
自分の人生の主人公に、自分がなっていない状態が、不幸ってことだもん」
「しあわせ本の『はじめに』には、健康になるのも、しあわせになるのも、自分自身で決める・変えることなんだと強調されている。
他人をいつまでも許せないのは、自分の人生だという覚悟が足りないからとも言える」
「『あの会社に入ったばかりに、あんな嫌な上司に当たってしまった』
って愚痴る人がよくいるけれど、そもそもその会社を選んだのは、自分だもんね」
「しあわせ本の『おわりに』には、許せないことが、夢をかなえる最大のブレーキになるとも書かれている。
許せないということは、過去の負の体験をずっと引きずり続けているということ。
だから、新しい行動を起こそうとするときも、『あの時ダメだったから、今度も失敗するぞ』と潜在意識が足を引っ張ってくる。
その恐怖感を消すためだけに、エネルギーを使わなければいけない。これは大きなロス」
「手痛い失恋をした人が、次の恋に臆病になるようなものだね。
トラウマが多い人ほど、行動を起こす前に余分にエネルギーを持っていかれちゃう。
だから夢をかなえるのが遠ざかるってわけか。
さっさと水に流しちゃった方が得だよね。何も阻むものが無い人ほど、願いはスイスイかなっちゃうから。
でも、そうは言っても、なかなか水に流すのって難しいよ。
水に流せないのは、水を司る腎臓が弱いから?」
「確かに腎臓の影響も大きい。
すぐに人と争うタイプは肝臓が弱い。ずっと恨んでばかりいる人は、腎臓が弱い。
肝腎要(かんじんかなめ)の両方弱いと、しあわせから遠ざかる人生になりやすい」
「水に流すためには、水を活用することだよね。昔から禊(みそぎ)や滝行は、水の力で邪氣を切ったもんね。
半身浴は、プチ禊になるし、腎臓を温めて養生してくれるもんね」
「実は水に流す技が、しあわせ本でも再三にわたって紹介されているスワイショウ。
スワイショウは陰性で、水の技。
腕を振り続けていると、過去の負の体験が浮かんでは消えて行く。
スワイショウは一種の自己催眠。
他者催眠・誘導と違って、その時の自分に耐えきれないトラウマは表面化しない」
「むしろ、『もう大丈夫だろう』と、身体と潜在意識が判断したから、表面化してくれたんだもんね。
現れることで、過去の因縁は消えて行くもんね」
「チンパンも、スワイショウをやり続けることで、過去のトラウマが薄紙一枚ずつ剥がすように、薄らいでいくことを感じている。
完全に消え去る日は、まだまだ遠そうだけど」
「『自分を許し、他人を許し、すべてを受け入れる心の広い人間になることは、一生かけて取り組む価値がある』
って、しあわせ本の『おわりに』にも書いてあるもんね。
それが<徳>ってことかも?桃太郎は徳のお手本だね」
(虎徹のワン!ポイントコメント)
ブリージングスタッフ・ふぐじろう先生のペットの虎徹です~。

写真は、お氣に入りのオモチャをくわえているボクです。
何だか、巻物をくわえたお稲荷さんみたいですね~(笑)。
キビ団子が食べたくなって、思わずオモチャにかぶりついてしまいました。
桃太郎が鬼が島から持ち帰った宝物と言えば、金銀とサンゴ。
金銀は分かりますが、なんでサンゴだと思います?
サンゴは表面にいっぱい穴が開いていて、海を浄化してくれる、ありがたい存在だからです。
炭も表面の穴から、邪氣を吸って浄化してくれます。
実は、身体の中の骨も、同じ役割を果たしています。
本当に桃太郎って深いですね~。
ふぐじろう先生、今夜は桃太郎の絵本を読んで~。
実は、今日はボク、2歳の誕生日なんです。
ふぐじろう先生、これからもよろしく~。
つづく
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